パチンコの話題

あるパチプロの話【Part1】パチンコとの出会い

2011年12月5日

以下、あるパチプロの話です。
パチンコへの思いを綴っています。長文ですので5回かに分けて記載します。

 

パチンコ・パチスロとの出会い

私は長い間パチンコを打ってきました。
パチンコとはもう20年近くの付き合いになります。もう生活の一部でもありました。
しかしそんな私ですが2年前にパチンコから足を洗いました。

その理由を書きたいと思います。
かなり長い文となること、ご容赦ください。

人付き合いが苦手で職を転々と

元来、私は人と話すことが苦手な性格でした。いわゆる口ベタというやつです。
そんな性格の私だったので、なかなか職場の人間関係に馴染めず職を転々としていました。

今までどういう仕事をしてきたかというと、部品加工工場、パン工場、ガラス工場、配送業、たまに引越屋など、あまり周りと話さなくても良いアルバイトをやってきました。

高卒で何の経験もなかったため、誰でもできるような工場勤務を選ぶことが多かったです。
そしてできるだけ夜勤をやってました。夜勤だと時給1200円くらい稼げたので、残業代含めて月に25~30万円の手取り給料があったかと思います。当時はそれで満足していました。

そういう職場だったので、休憩時間になると自然と競馬、競輪、そしてパチンコ、パチスロの話題になります。工場などでは一斉に狭い場所で休憩をとるため、そういう話を聞きたくなくても聞こえてしまいます。

みんな金儲けの事しか考えてなかったんですね。コツコツとお金を貯めるというよりは一発逆転を狙っている人が多かったように思えます。休憩時間になると必ずそういう話になっていましたから。

私はそういうこと自体関心がなかったですし、やるとしても競馬を遊びやるくらいでした。
かけても100円とか200円とかその程度です。でも話を聞いているうちに少しずつですが興味を覚え始めたのです。人って周りの環境に影響されてしまうんですね。(自分だけかもしれませんが)

きっかけはパチスロのゲーム

パチンコにのめり込むきっかけとなったのがパチスロのゲームでした。
職場の仲間からパチスロのゲームを借り、遊び程度でやることにしました。
収録されていたパチスロの機種は当時人気のあったニューパルサーです。当時はリーチ目というのが流行り、リーチ目を覚えることによって大当たりを事前に把握することができます。

蛙などの位置関係などを覚えていくうちに、ゲームだけでは飽き足らなくなりました。
やらないまでも実際にパチンコ屋へ行って実機をみたりするようになりました。
やはりゲームだけでは物足りない。やはりメダルが出てこそのパチスロです。

これこそがパチンコ、パチスロにはまったきっかけでした。
そして私の人生を大きく狂わせた出来事でした。

ニューパルサーは4号機と呼ばれる時代のものです。
かなりの大ヒット機種でしたので、どこのパチンコ屋にも置いていました。
この機種の楽しみ方はリーチ目が出た瞬間を楽しむものです。
今のジャグラーはわかりやすくランプが点灯しますが、ニューパルサーはリールが揃ったところでボーナスかが判別できます。

もうこの頃から休みの日は毎日打ちに行っていたと思います。いや、休みでない日も睡眠時間を削ってまでも打ちにいっていました。完全にハマっていました。
収支はというと当然マイナスです。打ちたいためだけに通っていたのですから。

その当時は収支表などはつけていませんでしたが、パチスロで負けているせいでいつも金欠状態でした。やり込めばやり込むだけ負け続けていきました。

パチンコにはまり借金生活へ

パチスロをやればやるほど負け続けていました。
では、負けているのになぜやり続けるのか?

いろいろな感情はあるのですが、もうそろそろ勝てるだろうと思ってしまうからです。
いくら何でもこんなに負け続けるはずがないと。そしていつか負け分を取り返せると本気で思っていました。俺は特別なんだと

次第に貯金は底をつき、ついに消費者金融に手をつけ始めました。
消費者金融でお金を借りてまでパチスロを打つというのは、今思えばもう完全に依存症です。

行くときは当然勝つつもりでいくわけです。負けることはあまり考えない。
自分だけは勝てる気がするんですね。でも結果は芳しくない。

もうこれ以上消費者金融からは借りれない状況まできました。
その時はヤミ金のことは知りませんでしたが、もし闇金自体の存在を知っていたら借りていたかもしれません。
それ以上借りることができなかったため、この程度の借金で済んでいたと思います。
ここで複数カードを作ろうものなら完全に多重債務者になっていたでしょう。

ここまできて初めて自分の愚かさに気づきます。
借りれないことでパチスロを止めざる負えなくなりました。

何度も財布がからっぽになり、(お金が落ちていないか)下を見ながら帰宅したのを今でも鮮明に覚えています。本当に情けない気持ちでいっぱいでした。大切なお金、大切な時間、大きな期待感を失い、「将来への絶望」のみが手元に残ったのですから。

費者金融への返済

そこからしばらくは消費者金融への返済するために仕事を頑張りました。
そして借金も無くなってきた頃、当時の仕事仲間とつい軽い気持ちでパチンコを打ってしまいました。

本当はもうやるつもりはなかったのですが、お酒を飲んだ後だったので気持ちが大きくなっていたのでしょう。
打った機種は羽物でした。ザ・名古屋という機種です。結構古い機種のようです。
百円玉で気軽に遊べるため、出たり入ったりではありますがとても遊戯として楽しめました。

そこから今度はパチンコにはまってしまいました。
またここで人生が狂ってしまいます。

羽根物の面白いところは、なんと言っても役物にからむ玉の動きです。そこに魅了されました。それに投資金額も少なくて済むので、結果負ける額が減ることになります。

今のパチンコのように連荘になれば何箱も出るわけではなく、甘デジの大当たりのように15ラウンドでも数百発しか出てきません。でも直ぐに当たりが来たりもします。出たり入ったりを繰り返しながら少しずつ玉が増えていきます。そして最後に打ち止めまで行く楽しさがありました。

<続き> あるパチプロの話【Part2】パチンコ人生の始まり

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